■杉山神社は、横浜市内でも旧武蔵の国に属する地域、及び川崎市・稲城市・町田市に分布します。
(戸塚区・瀬谷区・泉区・栄区、そして港南区の一部は相模の国に属します) 1800年代の始めに書かれた「新編武蔵風土記稿」によりますと、当時、杉山神社は
70数社ありました。現在「杉山**」として宗教法人登録されている神社は
44社、その内横浜市内には
35社あります。その差分約30社は明治以降に他の神社と合併したか、或いは社名を変更したものと考えられます。
■さて、杉山神社の名前が初めて歴史上にあらわれるのは平安時代です。『続日本後記』承和5年 (
838) 2月の条に「武蔵国都築郡の枌(杉)山神社が霊験あるをもって官弊に預かった」、同書・承和15年 (
848) 5月の条には「これまで位の無かった武蔵国の枌(杉)山名神が従五位下を授かった」とあります。また900年代の始めに成立した『延喜式』神名帳に、武蔵国四十四座「都筑郡一座
小 杉山神社」と記載されています。つまり、現在の横浜市域内で
唯一の式内社とされ、当時最も有力な神社であったことが分かります。
■では「杉山神社の本社はどこか、御祭神はだれか」昔から盛んに議論されてきましたが、未だに定説がありません。明らかなことは、杉山神社の分布が鶴見川・帷子川・大岡川の三水系、及び多摩川の右岸
(川崎寄り)に限られていること、多摩川の左岸
(東京寄り)地域は氷川神社が多いこと、杉山神社が数多く分布する旧都筑郡でありながら現在の旭区内には一社もなく他の神社の勢力が優勢であることなど、ごく一部に限られます。
■杉山神社の分布状況から「杉山の神」を奉斎する集団が、海を渡って江戸湾
(東京湾)に入り、各河川を遡りながら開発を進めたのではないかと考えたくなりますが、それも推論の域を出ません。杉山神社についての研究はまだまだこれからです。
■一般に古い歴史をもつ神社ほど、由緒や御祭神がよく分からないと言われています。つまり「杉山神社考」とは、杉山神社が古社であることの証明に他なりません。