NHKの大河ドラマ 「鎌倉殿の13人」 は1200年代に入った。保土ヶ谷の地が日本史に登場するのは、畠山重忠が元久2年(1205)の 「鶴ヶ峰の戦い」 で討ち死にする場面のみである。その鶴ヶ峰も昭和44年に保土ヶ谷区から旭区に分区したので、現在は日本史無縁の地になった。
それでは寂しいので 「鶴ヶ峰の戦い」 を思い返したい。
その経緯は 「東鏡(吾妻鏡)」 に見える。東鏡の文体は 「東鏡体とも称され、当時の代表的日用文体である和風の変型漢文体である・・・」 とされ、荘重で迫力のある語り口は覚えやすく暗誦しやすい。尚、訳文は振仮名が多く、通常のHTML文では編集が大変なのでPDF化した。
(2022/08/01)