■江戸時代から保土ヶ谷宿の内に出羽三山講がありました。幕末の頃、その講元で先達でもあった淸宮輿一が、湯殿・月山・羽黒の三山の霊場を参拝した際に、羽黒山麓の外川仙人大権現
の分霊を勧請し、自分の屋敷内(現在の地)にまつりました。はじめ外川仙人大権現と称しましたが、明治2年の神仏分離令により、日本武尊を祭神と定め、社名を外川神社と改めました。その神験は著しく、ことに小児の
虫封じや航海の安全に御利益があったとして、遠近から参詣する者が絶えませんでした。
(現在、御造営計画中です)
■さて、外川神社の御本社、外川仙人堂は、山形県最上郡古口村、最上川のほとりに鎮座しています。その外川仙人堂には、