境木地蔵の
由来
|
■昔々、相模国鎌倉腰越の海辺に漂着した地蔵が、土地の漁師の夢枕に立ち 「俺は江戸の方へ行きたい。運んでくれたらこの海を守ろう」 と告げたので、漁師達が江戸へ運ぶことになりました。ところが、途中この境木 (境木は武蔵国と相模国の国境に位置します) で、牛車が一歩も動かなくなってしまいました。そこで、村人達は地蔵を引き取りお堂を建てて安置しました。それから村はたいそう繁昌したそうです。【万治2年(1659)】
|
|
神明社の
手水鉢
|
■昔々、江戸のある寺へ納める手水鉢を牛車に積んで東海道を上ってきました。(手水鉢は小松石で出来ています、おそらく真鶴産と思われます) 平塚・藤沢・戸塚、そして権太坂を過ぎ、保土ヶ谷の宿に入ったところで、牛車が一歩も動かなくなってしまいました。車夫は困り果て、助けを呼んだり別の牛に替えたりしてみましたが、それでも動かず、結局宿場預りとなりました。
今度は宿場役人が困りました。重くて大きな石の塊です。街道筋に置いたままでは往来の邪魔になります。そこで関係者一同相談の上、宿場の鎮守である神明社へ奉納することになりました。
|
神明社の
手水鉢
【後日譚】
|
■その後、手水鉢を宿内から神明社の境内に運び込むとき一波乱がありました。参道の途中にある二カ所の老朽化した木製の太鼓橋を護るため、地元出身の相撲取りが肩で橋を支えたそうです。 【正徳4年(1714)】
もともと寺院用に造られた手水鉢だったため、正面に卍紋が彫られていました。 巴紋に彫り直したのは昭和50年です。
|
|
西久保町
杉山神社の
怪力石灯籠
|
■昔々、ある江戸の講中が、伊勢の大神宮へ石灯籠を献納しようと、牛車に積んで江戸を出発し、品川・川崎・神奈川と無事に東海道を下ってきました。 ところが、保土ヶ谷に着くなり牛車が一歩も動かなくなってしまいました。 別の牛に替えても全く進まず、結局その日は保土ヶ谷泊りとなりました。 翌日もまた牛車は動かず、挙句の果てに、牛は杉山神社の境内へ逃げ込んでしまいました。
そこで、「これは石灯籠が伊勢へ行くのを嫌がり、この宮に納まりたいという心に相違ない」 と一同相談の上、杉山神社へ奉納することになりました。灯籠に「伊勢大神宮」、台座に江戸講中の名が記されているのはそのためです。【嘉永5年(1852)】
|
|