庚 申 さ ま (令和五年)
■ 神明社の大鳥居前、古東海道と相州道とが交わる辻に、江戸時代から庚申(こうしん)さまが祀(まつ)られています。 庚申さまのお祭り日は、年六回ありますが、近年、当地では秋の庚申の日に「庚申祭」を執り行っています。
 
令和5年は10月29日(日)午後4時より斎行いたします。
どなたでもご自由に参列できます。

多くの方にとって、庚申さまは馴染みが薄いのではないでしょうか。そこで、庚申信仰について、簡単に説明いたします。

庚申信仰は、道教(どうきょう:中国の民族宗教)を元にする信仰と云われています。
  十干(じっかん:甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸の総称)と、
  十二支(じゅうにし:子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌の称)の組み合わせで、
六十日ごとに(つまり年6回)やってくる庚申(かのえさる)の日に、庚申さまをまつる行事が、昔から広く行われてきました。

庚申信仰では、人の罪科(つみとが)について次のように考えられています。

人間の腹の中には「三尸(さんし)」と呼ぶ三匹の虫がいて、少しの過ちも見逃すことはありません。その三尸は、庚申の夜、人が眠っているすきに人の体内から脱け出て天上に上り、その罪悪を天帝様(宇宙を司る神)に告げる役目をもっています。天帝様のところには、それぞれの人の罪科を記録した台帳があって、あまり記録が増えると人間は命を奪われます。そのため三尸が体内から抜け出ないように、庚申の夜は寝ないで酒宴などを催しながら夜を明かします。こうした行事は、初め貴族社会で行われていましたが、中世末から近世にかけて一般庶民の間にも拡がりました。

仏教では、庚申の夜は帝釈天(たいしゃくてん)や青面金剛(しょうめんこんごう)をまつりますが、青面金剛が猿の形をしていることから、神道では猿田彦(さるたひこ)と結びついて、道祖神(どうそじん)信仰と混合しています。

当地の庚申祠には、古くから二基の庚申塔が祀られています
左は元禄7年(1694)造立 文政 8年 (1825) 5月再建     右は元禄9年 (1696) 11月造立
なぜか庚申さまの蔭にお地蔵さまが
知らぬ間に持ち込まれた五輪塔
近年、行き場に困った石造物があちこちから持ち込まれます
庚申さまは江戸方面を向いています
神明社大鳥居前 古東海道と相州道の辻
赤いパイロンは、通行人が祠の屋根に頭をぶつけて怪我をしないための防護策です。
地元の庚申講中では、祠全体のかさ上げを検討しているそうです。
天王町 橘樹神社境内にある三基の庚申塔
中央の庚申塔は、青面金剛としては
横浜最古(寛文9年1669)とも言われています
保土ヶ谷町三丁目 元町橋の際にある庚申塔
左:庚申塔 右:地神塔
以上、旧東海道沿いにあって、誰でもお参りできる保土ヶ谷の庚申塔を紹介しました。

天帝様の台帳が気になる方は、ぜひお参り下さい。