■今から一千年以上昔、保土ヶ谷の地が榛谷
(はんがや)と呼ばれていた平安時代の中頃、天禄
(てんろく)元年(970)当社の御祭神・伊勢の天照大御神が、武州御厨
(みくりや)の庄の内、榛谷の峯に影向
(ようごう)し、それから川井、二俣川、下保土ヶ谷の宮林へと三遷の後、嘉禄(かろく)元年(1225)神託があって、神明の下宮を造り、当地を神戸
(ごうど)と号し、神宮寺を満福寺と名付け、経蔵堂を神照寺と称したという。これにより榛谷御厨八郷の総鎮守として広大な社領を免ぜられ、宮司以下数10人の禰宜
(ねぎ)・社人
(しゃにん)・供僧
(ぐそう)・巫女が仕え、年に75度の祭祀
(さいし)を営み隆盛を極めたという。
■その後、戦乱の時代に一時衰退したが、天正18年(1590)徳川氏入国の時、社殿の造営が行われ、4石1斗の御朱印地
(ごしゅいんち)が安堵
(あんど)された。また元和5年(1619)宮居
(みやい)を神戸山々頂から現在の場所に遷し、社殿の造営や境内の整備が行われた。
■明治2年の修営には、明治天皇御東行の時、本陣苅部清兵衛宅に臨時に建てられた鳳輦
(ほうれん)安置所の御用材を下賜された。明治6年村社に列せられ、神饌幣帛料
(しんせんへいはくりょう)供進
(ぐしん)の神社に指定された。
■平成10年、鎮座1030年祭・当地遷座770年祭・伊勢神宮鎮座2000年祭を記念して「平成の大造営」が行われ、380年ぶりに本社・摂末社・神楽殿等総ての境内建物12棟が一新された。平成12年、神奈川県神社庁献幣使
(けんぺいし)参向
(さんこう)神社に指定された。
御祭神
|
本社:天照太神宮(てんしょうだいじんぐう)・・天照大御神(あまてらすおおみかみ)
摂社:豊受大神宮( とようけだいじんぐう) ・・豊受大御神( とようけおおみかみ ) |
当社では、本社を「天照太神宮」、摂社を「豊受大神宮」と表記します。
|
御神徳
|
本社:天照太神宮 国家安寧 厄災消除 子孫繁栄
摂社:豊受大神宮 五穀豊穣 商売繁盛 殖産興業 |
社 殿
|
社殿建築様式は、本社・摂社とも神明造
|
諸 社
|
境内神社11社については別表を参照
|
例祭日
|
8月第4日曜日、及び6月16日、9月16日
|
社 宝
|
大太鼓:元禄3年(1690)奉納 (毎日使用しています)
扁額(へんがく):元禄17年(1704)奉納 (拝殿正面にあります)
|
社有地
|
社有地は約2万㎡。その内、約1万㎡は風致保安林に指定。 |