幡屋(はたのや)・榛谷(はんがや)保土ヶ谷・神戸(ごうど)
一説によりますと、その昔、現在の保土ヶ谷区から旭区にかけての地域は、幡屋郷 (はたのやごう)と云われていました。 やがて平安時代の末期になって、
当地を開発した豪族が伊勢神宮の神領地として寄進したことから「榛谷御厨(はんがやのみくりや)」と呼ばれるようになりました。そして、その榛谷がいつの頃からか保土ヶ谷に訛(なま)ったと伝えられます。また神戸とは、伊勢神宮の分社である神明社がおかれ、神領地の中心的な地域であったことから名付けられたと云われています。
ちなみに、横浜市の東西南北端から中間距離を測ってみると、神戸町あたりがその中心になるそうです。 「 横浜のへそ 神明社!? 

伊勢神宮神明社
伊勢神宮は、天照大御神を祀(まつ)る皇大神宮(内宮)と、豊受大御神を祀る豊受大神宮(外宮)との総称です。天照大御神(あまてらすおおみかみ)は天地の万物を照らしはぐくむ日の大神と称えられ、豊受大御神(とようけおおみかみ)は生命の糧である食物を司る尊い神様です。伊勢神宮は国民の総氏神とも云うべき最高至貴の神社で、全国神社の根本社と仰がれ、特に本宗(ほんそう)と呼ばれています。当神社はその分社として千年余りの歴史を有します。

本居宣長神明社
当神社の江戸時代の神主岡田刑部(ぎょうぶ)は、国学者の本居宣長と姻戚関係にありました。刑部の孫娘りゅうが宣長の次男恭次郎に嫁いだことから、折々の書簡が残され、その多くが本居宣長全集に収められています。

豊受大神宮
豊受大神宮の御用材の一部に、江戸時代の初期に建てられた旧御本殿の木材を使用しています。柱に見える継ぎ接ぎの跡はそのためです。