天と地が始まった時に、高天原
(たかまのはら)にお出来になった神様の名は、
□天之御中主神
(あめのみなかぬしのかみ)
□高御産巣日神
(たかみむすひのかみ)
□神産巣日神
(かみむすひのかみ)
□宇摩志阿斯訶備比古遅神
(うましあしかびひこじのかみ)
□天之常立神
(あめのとこたちのかみ)。
中略
以上の五柱
(いつはしら)の神様を別天津神
(ことあまつかみ)といいます。
中略
次にお出来になった神様は、
□伊耶那岐神
(いざなぎのかみ)
□伊耶那美神
(いざなみのかみ)。
中略
ここに別天津神すべての神々は、伊耶那岐・伊耶那美二柱の神様に 「この漂っている土地を整え固めて完成せよ」 と仰せになり、天の沼矛
(あめのぬぼこ)を授けられました。
そこで二柱の神様は、天界と下界とを繋
(つな)ぐ天の浮橋
(あめのうきはし)にお立ちになり、その沼矛
(ぬぼこ)を指し下して掻き回され、海水をころころと掻
(か)き鳴らして、矛
(ほこ)をお上げになりますと、その矛の先より滴
(ひたた)り落ちる海水の積ったのが、おのごろ島となりました。二柱の神様はその島に降りられ、先ず天の御柱を見立て、次に御新居となるべき八尋殿
(やひろどの)を見立てられました。
伊耶那岐の命は伊耶那美の命に 「お前の体はどの様に出来ているか」 と訊
(たず)ねられたので、伊耶那美の命は 「私の体は出来上がっていて出来きらない処が一処
(ひとところ)あります」 と答えられ、そこで伊耶那岐の命の仰せられたのには 「私の体は出来上がっていて出来すぎた処が一処ある。だからこの私の出来すぎた処をもって、お前の出来きらない処に合わせ塞
(ふさ)いで、国を生みだそうと思う。どうだろうか?」 伊耶那美の命は 「それがよいでしょう」 と答えられました。
そこで伊耶那岐の命は 「それならば、私とお前と天の御柱(あめのみはしら)を行き巡り合ってみとのまぐはひ
(=H)をしよう」と約束をして、早速「お前は右より回り、私は左より回りお前に逢おう」 と仰せになり、御柱を廻る時に、伊耶那美の命先ず 「ほんとにまあ、いとしいおかたですこと」 と言われ、後に伊耶那岐の命「なんとまあ、かわいい娘だろう」と言われました。その時、伊耶那岐の命は妻に 「女が先に声をかけたのはよくないのでは」 と仰せになりましたが、余り気にもとめずHをされ、やがて伊耶那美の命は、骨のない水蛭子
(ひるこ)をお生みになりました。二柱の神様は嘆き悲しみながらこの子を芦船
(あしぶね)に乗せて流し去りました。次に淡島
(あわしま)をお生みになりましたが、この子も出来がよくありませんでした。
伊耶那岐の命は 「今、私たちが生んだ子は良くない、やはり別天津神
(ことあまつかみ)に相談しよう」 と言われ、別天津神の指示を仰がれました。そこで別天津神等は占いをされ、二柱の神様に 「女が先に声をかけたのがよくない、再びかえってやり直せ」 と仰せになりました。今度は 「なんとまあ、かわいい娘だろう」 「ほんとにまあ、いとしいおかたですこと」 と言い終えて、結婚されてお生みになった子は、淡路嶋・四国・隠岐嶋・九州・壱岐嶋・津嶋
(対馬)・佐渡嶋、そして大倭豊秋津嶋
(おおやまととよあきつしま)。これら八つの嶋をまずお生みになられたので日本のことを大八嶋国
(おおやしまぐに)とも言います。その後小さな島々を生み国を造り終えて後、今度は沢山の神様をお生みになりました。
中略
次に火之迦具土の神をお生みなりましたが、この火の神をお生みなったことによって、伊耶那美の命の
みほとが焼かれ病気になって伏せられてしまいました。
以下略