今井川について
1800年代の初頭に描かれた東海道分間延絵図によれば、今井村に「子ノ神」の祠が見える。一般に「子神社」は「子の神さま」と呼ばれるので、この絵の子ノ神=現在の子神社と考えられる。しかしながら、現在の子神社は山頂にあって、この絵のように山裾にはない。子神社の由緒に、1808年に社殿の造営が行われたとあるので、絵図が描かれた直ぐ後に現在の地に遷ったのでは ・・・? (確証のない推論です)

また、図中右手上の「神戸山」と記されている場所は、現在のソニー研究所付近と考えられる。
← 子ノ神付近の拡大図を見ると、塀や生垣に囲まれて八棟の建物が描かれている。門かぶりの松も立派。今井村には江戸時代以前から豪族が住んでいた伝えられるので・・・? (これも推論です)
明治14年(1881)に測量され同19年(1886)に製版された「参謀本部陸軍部測量局」発行の二万分の一の地図は、東海道本線が敷設される以前の保土ヶ谷を知る上でたいへん貴重な資料である。下図は、保土ヶ谷三丁目付近から今井町にかけての拡大図である。(今井川の川筋を青色で表示した)

・今井川は、今井町・法泉・初音ヶ丘とほぼ現在のバス通に沿って流れ、元町自治
 会館付近で街道を横切っている。
・この地図では、現在の環状二号線付近から上流は判読が難しい。
・1800年代のはじめに描かれた東海道分間延絵図とは川筋が合致しない。
・初音ヶ丘付近で合する支流は、現在のソニー研究所付近から発している。

下図は、旧アクト・神奈川県立商工・横浜CC付近の拡大図である。どこが水源かは判らないが、横浜CC内の池(図の左端)が気になる。